日本史オンライン講座 秦野&松本

大学講師秦野裕介と高校教師松本恵司のコラボによる日本史オンライン講座。秦野先生が解説する「研究者と学ぶ日本史」、そこで学んだ知識を高校生向けにアレンジして松本が作った「高校生のための日本史」があります。
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藤原忠通 保元の乱のシナリオライター

高校日本史の教科書は、後白河天皇と崇徳上皇が武士を集めて戦ったと書く。藤原忠通は、後白河天皇と崇徳上皇を争わせるシナリオを書いたライターである。

忠通は摂関家のなかで浮いており、逆転の機会を狙っていた。藤原忠通は男子がいなかったため、弟の藤原頼長を養子にして後継者にした。二人の父にして、摂関家のオーナー藤原忠実も承知の既定路線である。ところが、実子が誕生すると藤原忠通がこの約束を反故にしたので、摂関家の氏長者は藤原頼長に移り、頼長が内覧になると藤原忠通に残るは関白の地位だけとなった。

この状況を打開し、頼長を葬り去るために忠通は構想を練って実行に移す。摂関家は河内源氏の棟梁源為義を傘下においていた。忠通はこれに対抗して為義と不和であった庶長子源義朝を系列下に収める。常盤御前はこのときに義朝の側室となった。近衛天皇の後継者の決定にあたり、忠通は崇徳上皇の子である重仁親王ではなく、守仁親王を推したうえで守仁親王の父雅仁親王を繋ぎの天皇として即位させる。こうした忠通の動きが、崇徳・後白河兄弟の争いを生じさせた。後白河天皇を擁した忠通は、頼長を追い詰めていく。

事態はシナリオどおりに展開し忠通が勝利を予感した。ところが、嫡系の矜持を誇る崇徳上皇が想定外の反撃に出る。忠通のベストシナリオは崩れ、武力を使用する展開に。源義朝の軍事力を活用して勝利を収めたものの、摂関家もダメージを受けた。忠通にとって保元の乱はほろ苦い勝利となった。

 

2019.11.13 Wednesday