大蒙古国皇帝国書(クビライの国書) 研究者と学ぶ日本史オンライン講座31
1268年、クビライから大蒙古国皇帝国書が日本に届いた。
今日では、モンゴル文書の形式の研究が進展し、この文書はジャルリクを漢文に直したもので、①皇帝が国王に送る文書として破格の敬意表現であること、②「兵を用いて」の威嚇文言はジャルリクのテンプレートの一部を成していることが判明している。文書が伝えたい本質的な内容を書く位置もテンプレートによって指定されているらしい。
国書は大宰府から幕府を経由して朝廷に送付され、朝廷で審議に付された(当時、外交権は朝廷にあった。但し、実際の運用は朝幕の力関係に左右される)。当時の朝廷がこの文書をどのように理解し返牒の可否をどのように考えたのか、幕府はどう考えたのか、を中心に秦野裕介先生に授業をしていただきました。
インターネットに秦野先生の論文「クビライ・カアンと後嵯峨院政の外交交渉」があります。動画と論文の両方を使うと、理解が進むと思います。