日本史オンライン講座 秦野&松本

大学講師秦野裕介と高校教師松本恵司のコラボによる日本史オンライン講座。秦野先生が解説する「研究者と学ぶ日本史」、そこで学んだ知識を高校生向けにアレンジして松本が作った「高校生のための日本史」があります。
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光仁天皇 天武系皇統の中継ぎから天智系の皇統の創始者へ

天武天皇と持統天皇の夫婦は皇位の直系継承にこだわり、女帝を何代も立ててまで直系男子に皇位を継承していきました。にもかかわらず、壬申の乱から70年、三世代目の聖武天皇になると後継者問題が深刻になり、称徳天皇をもって天武系の天皇は終わり、光仁天皇から天智系の天皇に替わってしまいます。何故?。

こういうことって、高校日本史の教科書は説明しません。山川の教科書では「藤原百川らがはかって、長く続いた天武系の皇統にかわって天智天皇の孫である光仁天皇が迎えられた」と書いてあります。

天武系の天皇の最後の世代、聖武上皇・光明皇后・孝謙天皇の一家は皇太子をどのようにしようとしていたのでしょう?などと疑問を持っている時間的余裕は高校日本史の現場にはありません。もう少し、詳しい参考書をと思い、高校生がよく持っている『日本史B 講義の実況中継』を読むと、「藤原百川らは『次の天皇は天武天皇系をやめて、天智天皇の孫で行こうぜ』というので、天智の孫の光仁天皇が即位することになった」と書いてあります。

教科書も参考書も、天武系が行き詰ったのは何故か?という説明はありません。実況中継に「ここまでが奈良時代の政治史。こんなものはただのストーリーとしてザーッと権力者の盛衰の順番さえ追えれば」と書いてあるように、高校の授業ではこれより深く追求はしないのです。受験に出題されることもありませんし。それをあえて追究してみると、教科書の記述は簡潔かつ正確な文章であることがわかってきます。

「藤原百川らがはかって、長く続いた天武系の皇統にかわって天智天皇の孫である光仁天皇が迎えられた」

この文を詳しくリライトすると

藤原北家の永手と式家の百川・良継は、聖武天皇直系の井上内親王・他戸親王に皇位継承するため井上内親王の夫である光仁天皇「中継ぎ」として皇位につけた。この時点では、光仁天皇は天智系というより天武系の井上皇后の婿であった。また、他戸親王が皇太子に就いたように、渡来系の高野新笠を母とする山部親王(桓武)が皇位を継承する可能性は低かった。しかし、永手が亡くなると百川・良継は井上皇后・他戸皇太子を廃して、良継の娘婿である山部親王(桓武)を皇太子に就けた。桓武天皇の后となった良継の娘が平城天皇・嵯峨天皇の母、同じく桓武天皇の后となった百川の娘が淳和天皇の母となる。桓武王家は藤原式家によって作り出されたのである。

となるのでしょうか。

「教科書を読めばわかる」という人がいますが、高校で教えていた経験から「本当かな?」と思います。教科書は結論だけが簡潔に書いてあって、説明は教師が補うことになっているのですから。

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2019.11.21 Thursday