高校日本史Q&A 邪馬台国は畿内説で決まりなの?
Q 邪馬台国は畿内説で決まりですか?
A 21世紀になった頃、考古学を専門にしている友人が「邪馬台国北九州説は絶滅危惧種になる」と言っていました。
山川の教科書は22頁に畿内説と九州説を比較を大きなスペースをとって記述しています。畿内説と九州説が拮抗しているようですが、
しかし、下段の注に「纏向遺跡では・・3世紀前半頃の整然と配置された大型建物跡が・・」①
23頁には3世紀中頃に・・大規模な前方後円墳が出現・・
そして、「出現期の古墳として、最大の規模を持つものは箸墓古墳」➁
①②に、③卑弥呼が親魏倭王になったのが239年、亡くなったのは3世紀中頃だから
①②③を組み合わせると、3世紀中頃に邪馬台国が畿内にあって、その遺跡が纏向遺跡と箸墓古墳ということになるのだけれども、教科書は①②③を関連付けて書いていないので、畿内説と九州説が拮抗しているように錯覚してしまいます。
①②③は書いてあるのだから、それを関連付けて理解すれば良いと言われれば、それはそうなのですけれど、箸墓古墳は纏向遺跡のなかにあるということくらいは書いて欲しいです。
畿内説の決定版です。