日本史オンライン講座 秦野&松本

大学講師秦野裕介と高校教師松本恵司のコラボによる日本史オンライン講座。秦野先生が解説する「研究者と学ぶ日本史」、そこで学んだ知識を高校生向けにアレンジして松本が作った「高校生のための日本史」があります。
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高校生のための日本史講座22 美福門院と王家領矢野荘

1069年、後三条天皇が延久の荘園整理令を発令します。1072年、後三条天皇は白河天皇に譲位して、翌年、崩御しました。

白河親政の初期、1075年、播磨国赤穂郡司秦為辰は国衙に久富保の開発許可を申請します。久富保は山陽新幹線相生駅の周辺です。白河親政から堀河親政を経て、堀河天皇の崩御により白河院政が始まります。12世紀末、白河上皇の院近臣である藤原顕季が播磨守になります。久富保は藤原顕季に寄進され、藤原長実を経て藤原得子(美福門院)に相続されました。

鳥羽上皇は美福門院を愛し、二人の間に近衛天皇が生まれます。鳥羽上皇は荘園抑制の方針を転換し、王家領荘園の拡大を図っていました。美福門審は祖父から受け継いだ久富保を荘園にしようと考え、1137年、鳥羽上皇の院庁が動いて王家領矢野荘が成立しました。

久富保は相生駅周辺の痩せた土地でしたが、北西一里のあたりに条里制のある肥沃な国衙領が広がっていました。矢野荘は久富保だけでなく、肥沃な国衙領、そして周囲の山野を取り込んだ巨大な荘園です。面積は90平方キロ、現在の相生市全域とほぼ同じ地域が一つの荘園でした。このように中央の権力によって成立する大荘園を領域型荘園といいます。

王家・摂関家・大社寺など京都の有力者が各地に荘園を設立し、中世(荘園の時代)が始まりました。

王家領矢野荘は、下地中分を経て、後宇多上皇から東寺に寄進されました。これによって、矢野荘の文書は東寺に受け継がれ、東寺百合文書として残っています。荘園の資料としては日本有数のもので、矢野荘は荘園研究者の聖地となっています。

東京から新幹線で4時間、相生駅は中世の荘園の真っただ中にあります。便利なところですが、中世の雰囲気を残した小都市です。観光地ではありませんから、歴史研究者やディープな歴史愛好家が訪れるだけです。日本史の歴史に詳しい人なら、一日歩いても飽きることのない、でも、歴史の知識がない人には全く理解できない不思議な空間です。

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2019.11.13 Wednesday