日本史オンライン講座 秦野&松本

大学講師秦野裕介と高校教師松本恵司のコラボによる日本史オンライン講座。秦野先生が解説する「研究者と学ぶ日本史」、そこで学んだ知識を高校生向けにアレンジして松本が作った「高校生のための日本史」があります。
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高校生のための日本史講座23 保元の乱

高校の授業では、保元の乱の後白河天皇方は忠通・義朝・清盛、崇徳上皇方は頼長・為義・忠正と丸暗記します。

何故、藤原忠通は崇徳方ではなくて後白河方なのか?源氏平氏の面々が崇徳方・後白河方を選択した理由は?・・という理由を説明する教師は少ないと思います。私も、現職のとき時間の関係もあって説明しないこともありました。今回の動画では、時間をかけてこの疑問を追いかけてみました。

保元の乱は、藤原忠通が藤原頼長と崇徳上皇を排除しようという意図のもとに起こした事件です。崇徳上皇と藤原頼長は藤原忠通に追い込まれて乱の直前に手を握りました。わかりにくいのは、藤原忠通が崇徳上皇の敵側になった理由です。藤原頼長と忠通は摂関家の後継者をめぐって争いを続けていましたが、忠通が崇徳上皇を排除しようという理由が何なのか。

忠通が崇徳上皇を排除しようとするなら→後白河天皇を擁立し→崇徳と頼長を追い込んで・・という一連の動きになるのですが。

武士の動きは、数年前から頼長と忠通の配下にあった人(源為義と源義朝)たちと、鳥羽法皇崩御の後、保元の乱の数日前に決断した人(平清盛)に分かれます。源為義と源義朝の父子対立はどのようにして生じたのか、平清盛の決断はどのようにしてくだされたのか、も検討していきます。

崇徳・頼長を追い込み兵力で圧倒的優位に立った藤原忠通ですが、想定外の事態が生じます。源義朝が崇徳上皇の白河殿夜襲を主張したからです。武力による決着しかないのか、藤原忠通の苦悶しますが、・・その後の展開は高校の授業で聞いていると思いますので省略します。

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2019.11.13 Wednesday