日本史オンライン講座

高校の社会科教師を退職して日本史を勉強しなおそうと思い、秦野裕介先生を講師に迎えて、日本史オンライン講座を作りました。木曜夜にZOOMでライブを発信し、週末に録画を公開しています。
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清和源氏の系図

 

 清和源氏01 清和天皇の系図.jpg

清和源氏は、清和天皇の孫にあたる経基王が臣籍降下して源経基になったことから始まります。

清和天皇の皇太子は、藤原良房の養女で藤原基経の妹である高子所生の陽成天皇です。良房・基経という藤原北家を外戚とする高子所生でない皇子は、皇位を継ぐ可能性はなく、貞純親王系の源満仲は臣籍降下しました。

 

清和源氏02 源経基の系図.jpg

 

源経基は武蔵介として地方に赴任しました。源経基がチャンスをつかんだのは、関東で平将門、瀬戸内で藤原純友が反乱を起こした承平天慶の乱です。藤原忠平が主導する朝廷は、武力を蓄え、貴族への復帰をめざしていた人々に「平将門や藤原純友の反乱を鎮圧したら貴族に昇進させよう」と約束しました。源経基・平貞盛・藤原秀郷らは正平天慶の乱の鎮圧に向かいます。源経基は藤原純友の鎮圧で功績をあげました。

朝廷は、源経基・平貞盛・藤原秀郷らに官職を与え、朝廷の武力として組織しました。彼らの官職は四位で鎮守府将軍。三位以上が上級貴族で、四位・五位は技能を持って仕える下級貴族です。源経基・平貞盛・藤原秀郷のように武力を家の職能として朝廷に仕える貴族を軍事貴族といいます。清和源氏・桓武平氏という「兵の家」がこうして成立しました。

 

清和源氏03 源満仲の系図.jpg

軍事貴族のなかで、清和源氏が最も有力な家系となる基礎を築いたのは源満仲です。源満仲は、安和の変で左大臣源高明を密告し、源高明失脚のきっかけを作りました。安和の変から政権を独占するようになった藤原摂関家は、源満仲の率いる清和源氏を摂関家の武力として養成しました。一方、安和の変で藤原千晴が捕縛された秀郷流藤原氏は軍事貴族の地位を低下させます。源満仲は正四位という公卿を除けば最上位の官位まで到達し、軍事貴族の首位は清和源氏、次位が桓武平氏という順位付けができました。

ところで、安和の変が起きた969年、源満仲は58才でした。源満仲はそれから30年近く生き、藤原摂関家に仕えて官位を上昇させて、次の世代に引きつぎます。系図を見るとわかりますが、清和源氏は長命の人が多いですね。

 

清和源氏04 源頼信の系図.jpg

 

源満仲は正四位伊予守に到達しました。伊予守は受領のなかで最も利権が大きい国の一つで、清和源氏の後継者の目標は満仲が到達した正四位伊予守になります。

満仲の子供の代で、清和源氏は多田源氏(摂津源氏)、大和源氏、河内源氏にわかれます。嫡系は源頼光の多田源氏です。三つの系統のうち、源頼信の河内源氏は東国に進出しました。源頼朝が河内源氏ですので河内源氏が最も有名ですが、清和源氏の本流は畿内にいて大内守護など京都の警備を職務としていました。平治の乱で活躍し、以仁王が挙兵したとき、以仁王とともに戦った源頼政が多田源氏です。源頼政は鳥羽院に仕えており、鳥羽法皇や八条院・二条天皇という鳥羽王家のために戦っています。

次の章からは、清和源氏のうち関東に進出した源頼信の系統(河内源氏)を見ていきます。

河内源氏の系図

系図一覧INDEX

 

 

 

2021.09.26 Sunday