日本史オンライン講座 秦野&松本

大学講師秦野裕介と高校教師松本恵司のコラボによる日本史オンライン講座。秦野先生が解説する「研究者と学ぶ日本史」、そこで学んだ知識を高校生向けにアレンジして松本が作った「高校生のための日本史」があります。
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皇室領矢野荘(やののしょう) てまきねこ2015.11

十年ほど前、相生の町のアイデンティティは何だろう?と尋ねられた。「播磨造船所と矢野荘(やののしょう)かな」と答えると「矢野荘について話してくださいよ」とリクエスト。それが、私と矢野荘の出会いである。

私は高校で世界史を担当しているので荘園には詳しくない。そこで、相生市史を読み、市内を歩いてみることにした。相生市は矢野荘と同じ領域にあり、若狭野の大避(おおさけ)神社や那波の大島城など荘園の歴史を物語る史蹟が点在している。荘園の研究者が「宝石箱」と賞賛するのもうなずける。

矢野荘の成立を振り返ってみよう。11世紀、赤穂郡司秦為辰が苧谷川(おこくがわ)普光沢川(ふこさがわ)流域に久富保を開発した。久富保は白河上皇の近臣、播磨国司藤原顕季(あきすえ)の所領となり、孫の美福門院(びふくもんいん)に受け継がれる。彼女は鳥羽上皇に愛され近衛天皇を産んで皇后になる。鳥羽上皇は王家領荘園を拡大させる方針をしっていて、1137年、美福門院は自分の所領である久富保を正式の荘園にする手続きをとり皇室領矢野荘を成立させた。

ここで、一つ疑問が湧く。久富保は相生市南部、山陽新幹線相生駅周辺にあった。一方、相生市北部の矢野川流域には条里制の優良な田畑があり、古代から公有地となっていた。この土地はいつの間に矢野荘の一部になったのか。

今年になって、やっとその謎が解けた。美福門院は鳥羽上皇の皇后という立場にものを云わせて、矢野川流域の公有地を自分の荘園に取り込んだのである。こうした荘園を領域型荘園といい、まだ高校の教科書には登場していない新しい用語らしい。

鎌倉時代室町時代を通じて、矢野荘では領主・悪党・地頭・農民らが生活をかけた争いを繰り広げる。こうした記録は東寺に大切に保管されてきた。相生は歴史に恵まれた町なのである。東寺百合文書の世界記憶遺産指定を契機に、故郷の歴史の再評価が進むと良いなと思う。

*注 実教の高校日本史には領域型荘園の説明がある

 

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2019.11.13 Wednesday