日本史オンライン講座 秦野&松本

大学講師秦野裕介と高校教師松本恵司のコラボによる日本史オンライン講座。秦野先生が解説する「研究者と学ぶ日本史」、そこで学んだ知識を高校生向けにアレンジして松本が作った「高校生のための日本史」があります。
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卑弥呼の古墳 てまきねこ2018.03

邪馬台国はどこにあるのか?日本史のなかでも人々が最も知りたいと思ってきたテーマの一つである。高校で学んだ頃は、九州説と畿内説が張り合っていた。しかし今や「九州説は絶滅危惧種」という人もいる。

魏志倭人伝は、239年に卑弥呼が親魏倭王になったと伝える。既に年老いていた卑弥呼はまもなく亡くなり墓が築造された。箸墓古墳である。この巨大な前方後円墳の出現をもって古墳時代が幕を開ける。そして、邪馬台国に加わっていた地方の有力者は前方後円墳を築くことが許された。

こうした学説は1980年代に登場したもので、1970年代までに高校で日本史を学習した人は「いつのまに」と驚かされてしまう。若狭野の大避山古墳は3世紀の前方後円墳だから、ここには邪馬台国と関係を持つ地元有力者がいたことになる。

7世紀になると前方後円墳は築造されなくなり、大王家や蘇我氏が方墳を築くようになる。若狭野古墳はこのタイプになる。若狭野ウォークは初期古墳と終末期古墳の両方を訪れるが、一見しただけでは前方後円墳と方墳には見えない。専門家のガイドに従ってイメージをふくらませると復元された古墳の形が見えてくる。

古墳は民衆が見上げるような高台に築造され、光り輝く姿は首長の権力の象徴であった。大避山古墳から見おろす地域には、鎌倉時代に矢野荘政所や大避神社、隣の山には室町時代に下土井城が作られた。若狭野古墳の前に広がる雨内はやがて開発が進み、江戸時代になると古墳の近くに浅野陣屋が建てられる。

二つの古墳をつなぐ若狭野ウォークのフィールドは、日本史のすべての時代を体験できる全国でも希有な地域なのである。

 

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2019.11.21 Thursday