日本史オンライン講座 秦野&松本

大学講師秦野裕介と高校教師松本恵司のコラボによる日本史オンライン講座。秦野先生が解説する「研究者と学ぶ日本史」、そこで学んだ知識を高校生向けにアレンジして松本が作った「高校生のための日本史」があります。
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更新記録

2019 / 11 / 12  21:42

後醍醐天皇は一代主

後醍醐天皇と花園天皇は、一代主という立場が共通する。

花園天皇と醍醐天皇は嫡流の兄の子供に皇位を伝えるためのワンポイントリリーフの天皇なのである。後醍醐天皇が自分の子孫に好意を伝えたかったように、花園天皇も自分の子供に皇位を伝えたかったかもしれない。けれども、自分のそういう気持ちを押し通そうとすると、鎌倉幕府と持明院統と大覚寺統が破壊することになり大混乱が起こる懸念があった。

花園天皇はそういう大混乱が起こることを恐れた。しかし、後醍醐天皇は、持明院統・大覚寺統・鎌倉幕府の合意を破壊してでも、自分を先頭にした新しい天皇の正統を作り出そうとした。こうして、後醍醐天皇は鎌倉幕府の打倒にたちあがる。

2019 / 10 / 30  10:00

両統迭立 後深草・亀山兄弟の対立へ

「高校生のための日本史講座」今週の動画は、両統迭立と下地中分。

教科書には有名な単語ですが、具体的にはどのようにするのか?が書いていなくて、高校生にはわかりにくいところです。両統迭立の方は、上皇・在位・生没年の入った系図をゆっくり見ていくと、皇太子の奪い合いであることがわかります。①皇太子をとる ②皇太子を即位させる ③その結果、上皇が治天の地位を得る というメカニズム。

荘園の下地中分は、王家領矢野荘を六波羅探題の裁定にもとづいて、公文の寺田氏と地頭の海老名氏が実務的に分割する例で説明。この後、領家方が東寺に寄進されたため、東寺と寺田法念が衝突します

2019 / 10 / 27  12:02

旗本浅野家若狭野陣屋

浅野赤穂藩が断絶した後も、分家の若狭野隼人家は幕末まで存続し、赤穂浪士の菩提を密かに弔い続けました。若狭野陣屋は旗本浅野家が若狭野三千石を統治する拠点でした。旗本浅野家が藩札発行にあたり1821年に札座を建てました。

若狭野陣屋は敷地が完全に残り、札座という役所が現存しています。大身旗本の陣屋遺構としては保存状態が良いものの一つです。しかし、札座は再来年に建築後200年を迎えますが、地元自治体の文化財保護審議会は、札座に保存するに足る歴史的価値・文化財的価値はないと決定しました。残念なことですが、札座は解体されて姿を消すことになります。

 

浅野陣屋保存ネットワークは、Youteberで収益をあげ、札座の保存と活用をめざしています。

札座の保存への第一歩は、あなたのチャンネル登録です。ご協力をお願いします。

2019 / 10 / 22  20:38

高校生のための日本史34 蒙古襲来(元寇)

1266年、モンゴル帝国は南宋攻略の準備を進めていた。皇帝クビライは国書を日本に送り、日本との外交関係を樹立しようとする。

1268年、国書は大宰府を経て鎌倉に到着、北条時宗は返諜を行わないことを決定した。一方、後嵯峨上皇の朝廷はクビライ国書の真意を推察しつつ、北条時宗の意向に従った。こうして、日本がモンゴルと外交を樹立する機会は失われた。

1273年、樊城が陥落し、三別抄が鎮圧されて、1274年、文永の役が起こる。大蒙古国奉書と竹崎季長絵詞を見ながら、蒙古襲来を解説します。

 

 

2019 / 10 / 21  14:11

琉球王国と明の海禁政策

1429年、尚巴志が琉球を統一する。明は海禁政策をとり、必要な物資は琉球との朝貢貿易ルートで調達していた。琉球船は東南アジア一帯からインド洋の物資までを取り扱い、琉球は東アジア貿易のハブとして繁栄した。

しかし、嘉靖の大倭寇が起こると明は海禁政策を緩和し始める。ポルトガル船の進出も始まる。海禁政策は琉球の地位を脅かし、琉球は対日貿易の依存度を高めていく。

 

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2019.11.21 Thursday