日本史オンライン講座 大学講師と高校教師のコラボ日本史

大学講師秦野裕介と高校教師松本恵司のコラボによる日本史オンライン講座。秦野先生が解説する「研究者と学ぶ日本史」、そこで学んだ知識を高校生向けにアレンジして松本が作った「高校生のための日本史」があります。
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更新記録

2020 / 12 / 10  19:39

戦国大名細川家 細川政元暗殺後の家督継承で衰退へ

細川氏は足利一門で三管領の一角を占める家です。阿波・讃岐・土佐など四国を地盤に丹波を加えました。宗家にあたる京兆家を中心に一族のまとまりが良かったことが勢力拡大につながり、応仁の乱では細川勝元が東軍を率いました。応仁の乱後、守護たちが領国に戻るなか、丹波を拠点とする細川氏は京都に残り、室町幕府の中枢を占めるようになります。細川政元は半将軍と呼ばれるほどの権勢を振るいましたが、修験道に凝って妻帯せず澄之・澄元・高国という養子をとっていたため政元が暗殺されると家督争奪が起こり、細川氏の衰退が始まりました。結局、細川氏の領国は三好長慶が支配するようになり、織田信長に受け継がれることになります。

研究者と学ぶ日本史の「戦国大名家の歴史 細川家」では、細川氏の成り立ちから細川勝元・政元、分家の細川藤孝・忠興・ガラシャまでを8本の動画にしました。

 

2020 / 12 / 04  21:18

室町幕府を教えるのは難しい 鎌倉幕府の方が説明しやすい

高校日本史には三つの幕府が登場します。鎌倉幕府・室町幕府・江戸幕府。このなかで、高校生に説明が難しいのは室町幕府。と思っていたら、大学の授業でも室町幕府は難しいそうです。研究者と学ぶ日本史「細川政元と山城国一揆」の質疑応答で、「足利尊氏は山城国を将軍家の所領にすることはできなかったのか?」から始まって、室町時代あれこれの雑談がありました。雑談部分を抜粋した動画です。中世を研究している先生方が「難しい」と言うのですから、私が高校の教室で教えながら「難しい」と感じるのは当たり前だと思いました。ちなみに、私が高校で主に教えていたのは、世界史Aと政治経済。たまに、日本史を教えると「室町時代ってわけわからん・・」ということに。

2020 / 12 / 01  20:32

高倉天皇の皇子たち(安徳・後高倉・後鳥羽)

高倉天皇には四人の皇子がいました。そのうち、三人が天皇や上皇になっています。

第一皇子の安徳天皇は父の高倉天皇から譲位されて皇位に就きます。しかし、翌年、高倉上皇が崩御、安徳天皇は平家とともに西国に向かい壇ノ浦で平時子に抱かれて入水しました。

安徳天皇が西国に向かったため、京都には天皇が不在になります。後白河上皇は院宣によって、第四皇子の後鳥羽天皇を践祚させました。こうして、安徳・後鳥羽という二人の天皇が同時に存在することになります。三種の神器は安徳天皇とともにあり、後鳥羽の皇位継承手続きには瑕疵がありました。安徳天皇と三種の神器の宝剣が壇ノ浦に沈み、後鳥羽の皇位継承手続きを修復する機会は失われてしまいます。

後鳥羽上皇は、皇位継承にまつわるコンプレックスを克服するため帝王を究めようとしますが、承久の乱で鎌倉幕府に敗北しました。後鳥羽・順徳は配流され、後鳥羽系の皇位継承者はいなくなります。

鎌倉幕府は、第二皇子の守貞親王の子を後堀河天皇とし、守貞親王(行助入道親王)が後高倉法皇として院政を始めました。後高倉法皇は皇位に就いたことのない不登極帝です。こうして、高倉天皇の四人の皇子のうち、三人が安徳・後鳥羽・後高倉として天皇・上皇・法皇の座に就くことになったのです。

安徳天皇・後鳥羽上皇・後高倉法皇を系図を中心に解説する動画を作ってみました。

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2021.06.21 Monday