日本史オンライン講座 大学講師と高校教師のコラボ日本史

大学講師秦野裕介と高校教師松本恵司のコラボによる日本史オンライン講座。秦野先生が解説する「研究者と学ぶ日本史」、そこで学んだ知識を高校生向けにアレンジして松本が作った「高校生のための日本史」があります。
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2020 / 12 / 01  20:32

高倉天皇の皇子たち(安徳・後高倉・後鳥羽)

高倉天皇には四人の皇子がいました。そのうち、三人が天皇や上皇になっています。

第一皇子の安徳天皇は父の高倉天皇から譲位されて皇位に就きます。しかし、翌年、高倉上皇が崩御、安徳天皇は平家とともに西国に向かい壇ノ浦で平時子に抱かれて入水しました。

安徳天皇が西国に向かったため、京都には天皇が不在になります。後白河上皇は院宣によって、第四皇子の後鳥羽天皇を践祚させました。こうして、安徳・後鳥羽という二人の天皇が同時に存在することになります。三種の神器は安徳天皇とともにあり、後鳥羽の皇位継承手続きには瑕疵がありました。安徳天皇と三種の神器の宝剣が壇ノ浦に沈み、後鳥羽の皇位継承手続きを修復する機会は失われてしまいます。

後鳥羽上皇は、皇位継承にまつわるコンプレックスを克服するため帝王を究めようとしますが、承久の乱で鎌倉幕府に敗北しました。後鳥羽・順徳は配流され、後鳥羽系の皇位継承者はいなくなります。

鎌倉幕府は、第二皇子の守貞親王の子を後堀河天皇とし、守貞親王(行助入道親王)が後高倉法皇として院政を始めました。後高倉法皇は皇位に就いたことのない不登極帝です。こうして、高倉天皇の四人の皇子のうち、三人が安徳・後鳥羽・後高倉として天皇・上皇・法皇の座に就くことになったのです。

安徳天皇・後鳥羽上皇・後高倉法皇を系図を中心に解説する動画を作ってみました。

2021.04.11 Sunday