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2020 / 12 / 10 19:39
戦国大名細川家 細川政元暗殺後の家督継承で衰退へ
細川氏は足利一門で三管領の一角を占める家です。阿波・讃岐・土佐など四国を地盤に丹波を加えました。宗家にあたる京兆家を中心に一族のまとまりが良かったことが勢力拡大につながり、応仁の乱では細川勝元が東軍を率いました。応仁の乱後、守護たちが領国に戻るなか、丹波を拠点とする細川氏は京都に残り、室町幕府の中枢を占めるようになります。細川政元は半将軍と呼ばれるほどの権勢を振るいましたが、修験道に凝って妻帯せず澄之・澄元・高国という養子をとっていたため政元が暗殺されると家督争奪が起こり、細川氏の衰退が始まりました。結局、細川氏の領国は三好長慶が支配するようになり、織田信長に受け継がれることになります。
研究者と学ぶ日本史の「戦国大名家の歴史 細川家」では、細川氏の成り立ちから細川勝元・政元、分家の細川藤孝・忠興・ガラシャまでを8本の動画にしました。